小湊ハルです。フリーランスイラストレーターの傍ら、
ピアノを弾いたり楽譜を作ったりしています。
表題からお察しいただける通り例の件についてです。
私は世間情勢に疎く、なおかつ気になった事柄についても言及することは中々ないのですが…
この件で少なからずネガテイブな感情を抱いた方がいるはずです。
流行りに乗ってバズろうなんて思わない。
せめてこの記事を読んだ私の周りの方々が、少しでもポジティブになれますように。
走り書きです。文章変ですがご了承いただけますと幸いです。
※私は法に詳しいわけでもないただの一端のイラストレーターです。
本件に関する具体的な批評というよりは人生観みたいなものだと思っていただければ。
AI×クリエイターの可能性
前項にて、まるでこの件がネガティブニュースかのように取り扱っていますが私は純度100%そうだとは思いません。技術の進歩に関しては喜ぶべきことですし、今後活動していく中で新たな技術とはほどよく付き合ったほうが合理的だと思います。
私で言えばアナログ⇨デジタルの環境の変化は特に顕著であり、むしろ学生時代に今みたいな環境があったらどれほど上達していたんだろうと頭によぎることもあります。(”もしも”の話は不毛なのですぐ切り替えますが。)
デジタルに頼ってばかりでは根本の画力が身につかない、なんて話も聞いたことがありますが
私は”倫理・道徳的に反するものでなければ使える機能は何でも使うべき”だと思っているので、
『どうやって描いたか』も重要ですがそれ以上に『何を描いたか』が重要であると思っています。
嫌悪感の正体
ここまで書くとまるで絵を描く行為になんの愛着もないように思われてしまいそうですが、
一次二次問わず創作においての盗作、トレース等については私は大反対です。
そもそも描く、生み出す行為が楽しくてやっているのでそういったことをする気にすらなりませんが。
本件に関しても、技術の利用というより悪用を懸念する声が多数に見えました。
私も少なからず嫌悪感を覚えずにはいられなかった訳ですが、
これは2つの目線から見るとわかりやすいかなと。
- 絵描き目線
- イラストレーター目線
以下共通したことですが、これは厳密な定義とかではなく説明する上での区分けだと思って下さい。
ここでは”絵描き”を趣味でイラストを描いている人、”イラストレーター”を絵を描くことで生計を立てる(あるいは足しにする)人という区分けをすることとします。
1.絵描き目線
絵描き目線、自分の描いた絵が勝手に使用され、絵柄だけ似た自分の絵ではない絵が生み出されます。
描き手が、楽しいとはいえ頑張って描いた我が子のような作品が、無断で機械学習に利用されてあまつさえ自作発言される可能性すらあります。悪名高いトレパクですら一応なぞってはいるので、よりタチが悪い。
ただこの点に関しては、
- 法整備の問題
- 感情的な部分を除けば、”自分の作品が勝手に使われる”という状況は今と変わっていない
といった点で今更取り糺すことでもないような気がします。(負の方向に傾いているのは事実ですが)
今こうしている中でも水面下では似たような事象が起きているわけです。デザイン分野に限らず。
2.イラストレーター目線
問題はこちら。少なからず生活に影響があるわけで、”好き”だけが純度100%の原動力ではない以上、こちらは嫌悪感+怒りを感じます。転売屋ヤーとかに対する感情と似たようなものでしょうか。
トレパクもそうですが、流石に描いてない絵で稼がれるのは気分良くないです。
私にできること
個人でやっていくと決めた以上、変化の速い現代において『ただ絵が上手い』ことの価値はどんどん下がっていくというのは覚悟の上です。ただそれが思ったよりも早く来た、顕在化しただけの話で。
なので今まで以上に個人の知名度・信用度が大事だと改めて実感しています。
この人の絵だから見る、この人だから信用できる。この人だから…etc.
誰がどう見ても自分の絵だってわかるような知名度・信用度・独創性を持ったデザインができるように。
好きなものを、好きなだけ、誰でもない自らの絵を。
人とAIが手を取り合いより良き未来となるよう祈りつつ、私は私にできることをし続けます。
以上、小湊ハルでした。